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授業の効果はテストだけではわからない

2016年4月2日 by dolce

できの悪い子どもがいたら、反省するのは教師の方です。
授業が終わったらテストを行い、採点をした結果、点数の低い子どもが「下位」の子どもですか?
この場合の「下位」と言うのは、学力ですか?
それとも人間の価値ですか?

安易に「学力」と言うのは、その教師の作ったテストの「でき具合」ですか?
そうすると、そのテストは学力を測るのにふさわしい内容のテストと言えるのでしょうか?

塾が流行る理由の一つとして、塾は学区の学校の行われた過去の問題を集め、出題傾向を研究し、それをもとに指導しています。
学校のテスト(例えば、中学校の中間、期末テスト)の傾向は毎年そんなに変わるものではありません。

そんなに変わらないと言うより、毎年同じと言ってもよいでしょう。
だから、過去問を練習しておくということは、予め出題されるとわかっている問題をやっておくことと言えます。

このことは、やや乱暴に言えば、学習塾とは学校で主題されるテストを予め教えておくということです。
それが学習塾の価値とも言えます。

経済的な問題で、学習塾に行けない子どもというのがしばしば問題になります。
しかし、学習塾の価値とは予め試験問題を教えてもらうようなものですから、早い話が学習塾に行ける子どもは、お金を出して前もって試験問題を買うようなものです。

お金のある家庭の子どもは予め出題問題が買えて、貧しい家庭の子どもは買えないのは不公平ではないですか?

これらのことを考えず、通常の学校のテストだけで、子どもの値踏みをしてしまうのは、あまりにも非教育的だと思います。

教育とはそんなものなのでしょうか?

■教育の成果

教育の成果とは、学期の中間、期末という短期間で決まるものではないと思います。

私が中学校で担任した生徒の中に、通知表がオール1の生徒がいました。
その生徒はずっとオール1で卒業して行きました。

何年かして、その生徒は私を訪ねてきました。
それは「自動車整備士2級」に合格したと報告に来たのです。
本人の態度は誇らしげでした。
私も嬉しい気持ちになりました。

話をしているうちに、なぜわざわざ訪ねてきたのか理由がわかりました。

それは、彼が中学校在学中に、あまりにも数学や英語ができないので、私が授業後空いた部屋に連れて行き、1年生の教科書で数学や英語を教えたのです。
彼はあまり乗り気ではなかったようですが、担任が呼ぶので仕方なくやっていたという風に見えました。
すでに3年生でしたので、学校の成績に対する成果は出なかったようでした。

私はそのことがいくらも役に経たなかったように思った、というよりそのことは忘れていました。
しかし、彼が訪ねてきたのは、卒業後そのことが懐かしく、彼が自ら勉強しようという動機になったようでした。
彼は独学で、本を買って勉強したようでした。

オール1をもらって、すっかり勉強が嫌いになり、早く中学校を卒業して勉強から開放されたいと思っていた彼が、卒業してから独学で自動車整備士の資格をとったのです。

今日、学校そのものが学習塾化し、教育を忘れてしまったかのようにも思えます。

教育学部の先生までが、その空気に染まってしまっているのは、その先生は教育学部との看板の部屋にいるだけで、教育学者とは言えないように思います。

今や、教育者と呼ぶにふさわしい人が、学校にどれくらいいるのでしょう?

できが悪いという子どもがいたら、反省するのは先生の方ではないかと、私は思うのです。


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