RSS Feed

教師は自分の話に重みがつくように勉強しなければなりません

2016年4月1日 by dolce

ゲーテが死の床で「もっと光を」と言った言葉が、弟子たちに影響を与えたという話をしました。
私はこの話を何で読んだのか覚えがありません。

しかし、以来、私は「言葉の重み」というものを考えるようになりました。
師弟の関係は、弟子の方が師を求めて行く場合は、師の話を弟子はよく聞きます。

それは、師の話を聞きたいと弟子の方から求めたから当然と言えます。

義務教育はすばらしい制度だとは思いますが、一つ勘違いしてはならないのは、子どもの方は制度として学校へ行くというのが動機であり、子どもが自ら先生を求めて行くわけではありません。

こういう場合、子どもの方は先生の人格を知らないわけで、出会いを通じて次第に先生の人格を知っていくわけです。
それでも、子どもは何らかの期待を先生に抱いている場合が多いように思います。

しかし、子どもにとってその期待が期待通りであるとは限りません。
期待通りでない場合の例として、子どもにとって最も不幸なのは、先生が嫌いになってしまう場合です。

先生という言葉を聞いただけで拒否反応を感じてしまう場合もあります。

優れた教師は、そういうトラウマを持った子どもの心をも払拭してしまう人だと思います。

私が一番嫌いな教師は「自分が制度上で先生という肩書を持っているだけに過ぎない」のに、自分は先生だと思ってしまっていて「オレは先生だから、子どもはオレの言うことを聞いて当然」という姿勢が身についてしまっている人です。

私はそういう「先生」を見るにつけ、自分は絶対あのようにはならないぞと決意を新たにしてきました。

先生という看板はなくても聞いてくれる重みをつけなければと思ったわけです。

「オレは先生だぞ」という姿勢は、どこか「この方を何と心得る、この印籠が目に入らぬか・・・」に似ているような気がします。


2 Comments »

  1. tsuguo-kodera より:

     ご無沙汰していました。あの学校を鈴木さんと一緒に首になりました。半分残念、半分すがすがしい気持ちです。いよいよ本の出版に注力します。出版社は鈴木さんです。興味があれば連絡してみてください。連休前には買えるでしょう。1300円と送料がかかるでしょうが。
     なお、記事はいつも読んでいます。今日もですが、ますます筆が鋭くなってきたようですね。石を切っていると刃がかけます。柔らかい、役立たなそうな論調もたまにはいいのかもしれません。私のようにです。得意な自己宣伝でした。

  2. dolce より:

    お久しぶりです。
    健康上の問題があるのではないかと、心配しておりました。
    お元気なようで、とりあえずホッとしております。
    学校を退かれたという話ですが、koderaさんの方が引き上げられたのでしょうと推察します。
    Sさんも懐かしいです。
    とりあえず、お二人の今後のご活躍を期待します。
    今後ともよろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。