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尊敬されていない人の言葉は軽い

2016年3月31日 by dolce

生徒が、教師の言ったこと聞くとか聞かないとか、よく問題になる。
特に生活指導で問題になるのは「確かに指導した」「確かに言った」ということである。
教師の立場からすれば、確かに言ったのになぜ聞かないのかという不満がある。

しかし、私が疑問に思うのは「言えば」指導になるのかということである。
学校は軍隊とは違う。軍隊なら「上」から言われたことは聞かねばならない。
学校も上の立場の人からの「言うこと」は聞かねばならないが、先生(教師)と児童・生徒という関係は、ちょっと違うのである。

児童・生徒は機械的に割り振られた組織に所属し、そこに児童・生徒に選ばれたのでもない先生(教師)の下で指導を受けることを強制される。
「児童・生徒は先生の言うことを聞くべきだ」と形式を強調したところで、児童・生徒にしてみれば、それで心がついていくとは限らないのである。

だから、児童・生徒にしてみれば気にいらない環境に強制的に所属を宿命づけられたところでも適応しなければならないので、一応聞いたふりはする。

このことは、かつてプロのオーケストラの指揮者が、つくづく語ってくれたことを思い出させる。

プロの指揮者はよくもって、せいぜい2年ぐらいですよ。

との言葉である。

オーケストラと初対面の時、メンバーの半分は好感を持って迎えてくれても、あとの半分は初対面にも関わらず反感を持っています。
反感を持っている連中は、アラ探しを始める。
アラ探しをされてもつ指揮者はせいぜい2年ぐらいなんですよ。

この言葉は私には重く響いている。
だから、私はこの言葉を以後、教訓として受け入れている。

オレは先生だといくら威張ってみても、児童・生徒は何とも思っていない。
一応、権力者だから、損しないように「聞いたふりをしておく」ということは多々あると思った方がよいのである。

では、児童・生徒はどういう先生(教師)の言葉を聞くのか?

それは、自分にとって重い言葉を言う人の言葉を聞くのである。
尊敬する先生の言葉は重い。
逆に、反感を持っている先生の言葉は軽いのである。


「少年よ大志をいだけ」

と言ったところで、クラーク博士ほどの人ではない人の言葉は軽いのである。

ゲーテは、死の間際に

「もっと光を」

と言ったそうだが、弟子たちはこの言葉重く受け止め、その意味を一生懸命考えたそうである。

しかし、ゲーテは周りが暗かったので、カーテンを開けて明るくして欲しいと言ったのが真意ではないかという人もいる。

「もっと光を」と言っただけで、人々が考えるほど、ゲーテの言葉は重かったということだろう。


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