RSS Feed

大人になるということは、甘えが許されなくなるということ

2016年1月4日 by dolce

昔、編曲法の勉強に参加した時、先生から印象的な言葉をいただいたことを覚えている。

「あなたがた、今のうちたくさん失敗しておくべきですよ」

と。

その理由は

「僕たちプロが変な編曲をしたら、もう、すぐに仕事が来なくなってしまいます」

ということだった。

要するに、社会に出るまでは失敗が許される、またそれが貴重な経験にもなるということである。
成人というのもそういう意味で、未成年のうちは許されることはあっても、成人になると許されなくなるということである。

これは成人になったら「甘えるな」ということでもある。
大人と子どものけじめである。

動物の子育てもよくしたもので、親は子どもを大切に育てるのだが、ある時期になると子どもの自立を促す行動をとるようになる。
動物がこういうことをきちんとやっているのに、人間がいつまでも子離れができないのが、しばしば問題になる。

これらのことをまとめて言うと、大人になるように教育するということは、子どもの間は失敗を問題にするより失敗を経験として学ばせること、結果を問題にするより過程を大切にすることと言える。

学校を卒業して、会社なりに入ったらもう失敗は許されない。失敗がもとでクビになるかも知れない。
もっとも、年頭で主要企業の社長が集まった座談会では、ある社長が「若い人たちは失敗を恐れず果敢に挑戦せよ」と言っていた。
こういう余裕のある会社は素晴らしいが、それでも、ここで言う失敗は「失敗の質」というものが違う。

しかし、呆れた先生もいて、盛んに、学生たちに「結果が大切だ」と強調していた。
それでいて「大人に育てることが教育だ」と言っていた。
動物が子どもを自立させるために、ある時期からは子ども自身に餌を取ることを促す。
子どもは経験がないから、何度も失敗する。それを繰り返し、自分で取れないものは死んでいくのだ。

在学中に失敗を許さない先生というのは、教育の本質がわかっていいない。

学校には先生と生徒がいる。
先生と生徒は同じではない。

先生は大人(プロ)であるから、失敗は許されないが生徒の方は失敗を繰り返しながら成長していく。
先生の方はそれを黙って見ているだけでなく、分析ができなければならない。

だが、大人でも一定の許容範囲が認められている人がいる。
それは身体(身体=体+精神)のどこかにハンディを持っている人だ。

そういう人たちには社会が一定の保護を認めるように、法律が定められている。
そして「障害者手帳」が交付されている。

障害者手帳を持っている人に、普通の大人と同じ要求をしてはいけない。

障害者とは言えないが、運転免許を所持して1年を経過しない人の初心者マークの表示、運転免許所持者で70歳以上に表示を促すマークなどは、社会的にハンディを認めてそれ以外の人たちに配慮を促す決まりである。

教員にあっては常識の知識ではあるが、教員であるが故に「知らない」は許されないこともある。


1件のコメント »

  1. tsuguo-kodera より:

     失敗が大事な経験になるのは挽回策を経験できるからでしょう。失敗は一様ではありません。失敗は千差万別です。対応策も変わります。失敗の対応策はマニュアルにはなかなかできないのです。だから担当者は創造性が必要なのです。
     私は学生にも若手社員にも結果を求めてトライさせます。真剣度が違いますし、それでもまず上手く行かないのが常なのです。結果を求めず、真剣度をあげさせることはなかなか大変です。失敗には怒り、挽回策を一緒に議論し、行動させます。自主的にです。高校生でも大学生にも。
     結果が不味いほど上手く指導できました。自己推薦試験でもでした。大丈夫そうな学部に落ちて、一か月の勉強の真剣度があがり、早稲田に二人自己推薦で合格したのです。
     結果を求めず挽回策を考えさせるのは難しいのでは。教育で他に良い手があれば教えてください。設計の例なら私のこの論旨の実例はたくさんあげられるので、仕事の話は止めましょう。
     お願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。