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利己主義の極み

2014年9月18日 by dolce

個人主義と利己主義の混同は論外として、いわゆる「自分さえよければいい」という利己的な感情の極みは人の不幸を喜ぶという気持ちだろう。

言葉は自分の真の感情(本音)を偽って、飾ることができる。
私たちはそういう虚飾を見破って、文章を読まないと本質を見失う。

特に、言葉を型通りしか受け取らない人、つまり読解力がないということだが、そういう人が増えると、本質が見えないので多くの人が嘘に誘導される懸念も出てくる。

ヒトラーは画家になりたかったそうである。
だから、若いころは画家を目指して勉強していたということだが、ある時、自分には画家としての才能はないということを、思い知らされて、初志貫徹を断念したということだ。

その心の傷、つまりコンプレックスが優秀な画家を弾圧し、芸術的価値のない絵を描く画家ばかりを擁護したらしい。
歴史でみると、優秀な人間を処刑してしまう例もある(優秀な人間を殺すのがおもしろいのだろう)。

私はものごとをパターン化して見ることは好きでない。
なぜなら、パターンという枠がかえってものごとを見えなくしてしまうという欠点をはらんでいると思うからだ。

しかし、このヒトラー型とも思える人はいるものだとも感じている。
プロのミュージシャンになれなかったがために、つまらない、何の芸術的価値もない音楽人をとりたて、反対に優れた演奏家をこき下ろす人(あるいは活動できないようにする)。
強いコンプレックスの現れである。

また、教師の中にはオレが教えたと言いたくてしょうがない人もいて、みっともない振る舞いをする人がいる。
これは私が空想を言っているのではなく、最近、そういう教師によって我が子が犠牲になったという保護者と会ったからだ(これはスポーツでの話)。
あまり詳しく言うと差支えが出るので、これ以上は書かないが、聞いていて腹が立ってきた。

たまたま縁のあった教え子が優れていたため、オレが先生としゃしゃり出るのはみっともない。

利己主義という言葉がしばしば登場するが、本日、例として紹介した人の感情は、私の見方では利己主義の極みである

利己主義のウラには強いコンプレックスが隠れていることが多いようだ。


2 Comments »

  1. tsuguo-kodera より:

     日本人に利己主義の人が増えたように感じていますし、私もこの村には利己主義、いいえコンプレックスの塊のような人がいるようにも感じています。現れ方は色々ですが、学校の先生に多い性格なのかもしれません。情け無いですね。情熱が変なのかも。
     コンプレックス、すなわち利己主義の結果、狭い世界で権力者になるのを夢見て校長や理事長になりたかった校長もいるでしょう。特に校長どまりの人は世界からそのように見られているのは仕方ないでしょう。
     私は風が吹けば桶屋が儲かるの類の説明で、明治維新から今の状況、特にこの記事の論旨まで演繹できます。構造主義から始まります。それが、人材不足とあいまって、無能な人ほど出世できる学校行政が完結したのかも。その結果が今の学校です。
     この講演会はしたことがありませんが、頼まれたら何時でも何処でも誰にでもするつもりです。料金は差別ではなく区別があります。要相談です。パネラーでもパネル発表でも結構です。管理人様の依頼ならですが。
     価格のアイデアは私の課す問題の回答如何で料金が変ります。なお、管理人様とマッキー先生は1円です。これは決まっているのです。
     今の学校の校長先生は20万円です。20万円が私の講演会の定価なのです。
    何時かしましょう。まとめて10人まで管理人様なら1円で結構です。(笑)
     あてにしないで待っています。なお、交通費の実費はベットです。(笑)

    • dolce より:

      >無能な人ほど出世できる学校行政が完結した

      そう感じますね。
      教育改革と言って、制度をいじったところで、この部分を変えないことには改革にはならないでしょう。

      アベノミクスが思い通りに進んでいないのは、政治に期待しなくなった企業が外国へ出て行ったからだと思います。
      だから輸出は増えていない。

      最近は学生の留学思考が低いといいますが、こういう学生は自滅するかも知れません。
      最近、ある保護者と話をしましたが、その家庭の子どもは優秀で、積極性を感じました。
      自分から留学を願い出て帰ってきた子どももいます。

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