RSS Feed

7月, 2016

  1. 統合失調症

    7月 29, 2016 by dolce

    統合失調症(とうごうしっちょしょう)は昔は「精神分裂症」と呼ばれていました。
    「精神分裂」という呼び方は響きが悪いと言うことで「統合失調症」と言う呼び方に改められました。

    どちらにしても、その呼び方が表すように、精神がまとまらないという感じがします。
    話すことがバラバラで統一感がないわけです。

    この話題を取り上げたのは、年々「精神がおかしい」という感じの事件が増えてきたような感じがするからです。
    専門の医師の話では、100人に一人ぐらいの割合でいるそうです。
    だから「あなたの友だちの中にもいますよ」とは医師の言葉です。

    一口に「統合失調症」と言っても、これは概念の広い言葉で、症状は一通りではありません。
    私の分類では、(1)他人に迷惑をかける人(2)変だけど他人には害がない人に大きく分けられるような気がします。

    私の古くからの知人の中にもいるのですが、彼が若い頃は特に問題を感じませんでしたが、年とともに「変だ」という症状が出るようになりました。
    幸い、人に害を与えるようなことはないので、通常の社会生活には支障はないのですが、ちょっと普通とは考えが変わっていて、子どもをまとめて率いるような仕事には、校長のような管理者からみると不安で任せられないという気がします。

    統合失調症と思われる人の中には、知識が豊かと感じられる人が意外に多いように思います。
    そのせいか、試験には強く、案外高い地位にいる人がいます。

    しかし、まとまりがないので、実際の仕事はできないというか「まずい」と感じます。

    統合失調症と診断された人が気をつけるべきことに、生命保険に入れないということがあります。
    これは、保険会社の判定基準にあります。

    だから、そのことを隠して告知書を書くと、いざ保険金をもらう段になって「告知違反」という理由で保険金が支払わません。
    もちろん、それまで払ってきた保険料から算出する返戻金もゼロになります。


  2. 手続きをするだけで、誰でもすぐ130万円手に入る?

    7月 27, 2016 by dolce

    こういう話を信じますか?
    答えは動画の最後にあります。


  3. 全体構造が見えない〜思考の欠陥

    7月 11, 2016 by dolce

    grobal_lokal文部科学省は学校でプログラミング学習を取り入れる方針を打ち出した。

    これは、将来プログラマーを養成しようと言う考えではない。
    もちろんプログラマー養成には役立つことだが、これは国語教育と言えば、小説家を養成するためのものという考えではないのと同じだ。

    プログラム言語には「変数」というものがある。

    変数は大きく2種類に分類される。

    「グローバル変数」と「ローカル変数」である。

    これは国家の「きまり」と似ている。
    決まりを法規と言うが、国の最高法規を憲法と言う。

    グローバル変数は憲法のようなものである。

    ローカル変数には法律や政令といったものがある。

    グローバル変数は国全体を支配する変数である。
    ローカル変数はローカル変数の通用通用する範囲がある。

    このように、プログラミングにおける「変数の有効範囲」をイメージすると、国を統治するきまりも理解しやすい。

    学校においては生徒会で決めるきまり、学校の校則もローカル変数の一つである。

    生徒は校則というローカル変数の範囲での有効性が決められている。
    でもこの有効性の範囲での振る舞いは、非民主国家のようなものではない。
    それは、常に上位のきまりに反することはできないからである。

    校則は法律に反することはできないし、法律は憲法に反することはできないからである。
    だから、教師は生徒から見たら、一種の権力者ではあるが、教師から命じられる理不尽な指示に拘束されるものではない。

    もしそんなことがあれば、教師は法律によって罰せられる。
    子どもは国民の一人として、憲法や法律に守られている。

    だから、教師とてどんなことでも生徒を自分の思うように、指図をできるわかではない。

    実際、生徒会主催のフォークダンスに「男女が手を取り合って踊るのはみだらだ」と発言し、退職に追い込まれて校長もいた。

    高校生が18年間、全体主義国家のように思想統制されていると考えている教師は頭がイカれている。
    そういう教師のもとで、いい教師が育つか疑問である。

    プログラミングの素養が身につくと、全体構造を見通す力がつく。
    全体構造を見通せない者が教師になるのはよくない。

    教師を採用する試験に、プログラミングを取り入れるべきと思う。


  4. 心まで思うようにすることはできない

    7月 10, 2016 by dolce

    また終戦記念日が近づいてきた。
    沖縄は唯一米軍が上陸したところだ。
    日本の陸軍総司令部は本土決戦を考えていて、日本人は最後の一人まで戦うことを方針として国民に伝えていた。

    しかし、陸軍が最後まで国民を守ろうとする意志があったかどうかはわからない。
    それは、戦争中、国(=実質、関東軍総司令部)は満州国を設立し、国民を満州に移住させる政策をとった。
    満州国は愛新覚羅溥儀を日本の傀儡政権(かいらいせいけん)とする、実質は日本の屬国であった。

    関東軍が武力をもって支配していたが、日本の負けが濃厚となると、移住生活をしていた日本の民間人を放っておいて、真っ先に逃げたのは関東軍だった、
    沖縄の人たちには「米軍が上陸してくると、女は辱めを受けるから、そうなる前に自害したほうがよい」と陸軍は宣伝した。

    実際は降伏する者にまで手を出すことがなかったのが米軍だが、陸軍の言葉を鵜呑みにして自害した沖縄の人たちは多かった。
    だから、沖縄の人たちの日の丸に対する思いは特別なものがあることが容易に想像できる。

    日本人だから、国旗に礼を尽くすとか、国歌である君が代を歌うのは当然と言う人は、あまりにも単純というか人の気持ちがわからない人である。

    「決まりだから守って当然だ」という人も単純過ぎる。

    決まりと言っても、交通規則のようなきまりと「〜が望ましい」とする心の問題たは区別する思考を持たなければならない。


  5. 時代は刻々と変化している

    7月 6, 2016 by dolce

    「歴史は繰り返す」という言葉がある。
    だからと言って、今の子どもたちが、我々が経験してきたような道を歩むと考えるのは大きな間違いだろう。

    人間そのものは、生物であり個体としては違わないかも知れないが、今の子どもたちが昔と違うのは、生まれた直後から脳に書き込まれる情報が、加速度的に増加しているからである。
    子どもは大人の援助によらないと、ある段階までは成長できない。
    だから、援助する大人によって子どもの育ち方によって大きな差が出る。

    ここで援助する大人とは、学校の教師に限らない。
    生まれた時に接する親(大人)をはじめとして、子どもを取り巻く全ての大人、子どもが対象である。

    昔の先生は、一度覚えたこと何年も切り売りして、過ごすことができたが、現代ではそれが通用しない。
    なのに、教師は旧態依然とした知識や方法で過ごしている。
    これが、子どもたちに新鮮な知的好奇心を与えないがために、学校は退屈なところになっている。

    元来、学校は子どもたちに知的刺激を与える子どもたちのものであったはずだが、今や教師の生活の糧を得るための、教師のためのものとなってしまっている。
    学校の授業よりスマホの方が、子どもたちの心を奪っているのは嘆かわしいことである。

    教師は時代遅れなことで、子どもたちを我慢させていないか振り返ってみる必要がある。


  6. 自ら凄いなんて言えば凄くない証明になってしまう

    7月 4, 2016 by dolce

    誰からにも凄いと言ってもらえないと、じれて、自分から自分を凄いと言う人がいた。
    悲しいかなその瞬間にタダの人になってしまった。

    この人は人生の途中から、自分の生き方はイミテーションで行くと決めたようで、そこから虚飾の人生が始まった。
    外では一生懸命繕って、社交辞令や中身のない「凄い」の言葉をもらっていた。
    だが、所詮、虚しさは残って帰宅すれば、やけ酒。
    ついに肝臓を悪くし、命を落とした。
    しかし、これは自殺も同然と言えるようなものであった。

    人が認めてくれないからと言って、自分で自分を褒めることほど惨めなものはない。

    「僕は若い頃は女に持てたんだ」・・・この瞬間、持てない男という証明をしてしまった。

    「僕の功績のせいです」・・・何も功績はなかったという証明をしてしまった。