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2月, 2016

  1. 小学生以下かも知れない

    2月 29, 2016 by dolce

    小学生、中学生、高校生という言い方は学校制度の学年を表すものでありますが、精神性や知性の尺度として基準にしているものでもあります。
    だから「小学生レベル」というのは小学生をバカにしたものではありません。

    玩具店に行くと、商品に適性年齢が表示してあります。
    それは制作した会社が、それぞれの年齢を想定して作ったものです。
    制作の過程において子どもの成長の研究があるわけです。

    しかし、購買者である子どもによっては小学生を対象とした玩具では飽きたらなかったり、またその逆もあるでしょう。
    親としては、少なくとも我が子が適性年齢以下の玩具を選んだら心配になるでしょう。

    現実は実年齢と玩具の適性が合っているとは限りません。
    一方、作文においても実年齢と学年が合っているとは限りません。

    例えば、日本は食料自給率が低いので、どうしたらよいかという問題提起をした時に「スーパーに行けば食べ物はたくさんあるから食糧難の心配はない」という回答を誰かがしたら、その誰かとは一体何歳ぐらいと思えるでしょう?

    少なくとも普通の大人が回答するとは思えません。
    小学生だったらそういう子どももいるかも、と考えられるかも知れません。

    現実には「スーパーに行けば食べ物はたくさんあるから食糧難の心配はない」と言った者が大学教授だとした
    ら呆れてしまう人は多いと思います。
    それは、大学教授は肩書に過ぎず、中身は小学生(以下)と考えられないでしょうか?

    そんなことはあり得ないだろうと思う人もいるでしょう。
    しかし「携帯電話で翻訳がきるようになるから英語の勉強は必要ない」というレベルと同じと言えるのではないでしょうか?

    ■人工知能とは何か

    人工知能とは人間とは隔絶された世界にあるものなのでしょうか?

    「人工知能は人間に追いつけるか」という話はどうでしょう?

    人工知能とはプログラムです。そしてプログラムは人間が作ります。
    だから、人工知能が人間に追いつけないとは言い切れないのです。

    すでに、今まで人間が作ったもので人間の能力を上回ったものはたくさんあります。
    そういう意味で「現在は人間の方が上だが・・・」という言い方はできますが、未来の進歩はわからないのです。

    「人工知能やコンピュータ」と言う人がいますが、これはおかしな言い方です。
    恐らく「人工知能」とは何か「コンピュータ」とは何かがわかっていないのでしょう。
    定義が大切だと言っているのに、言っている本人が「人工知能」や「コンピュータ」の定義がわかっていないのでしょうね。

    【人工知能】
    コンピュータを使って、学習・推論・判断など人間の知能のはたらきを人工的に実現したもの。

     


  2. 一斉授業もできない指導案も書けない、だから??

    2月 28, 2016 by dolce

    次の動画はYoutubeを使ったセミナー(一斉授業)です。
    「セミナーと授業の違いは」と言えば、厳密には意味が違いますが、ここにあげる動画は一種の一斉授業と言ってもよいと思います。
    講師(先生)が話をし、受講者が一方的に聞くというスタイルです。

    もうひとつ断っておきたいのは、ここに紹介する動画そのものを勧める、宣伝したいということではありません。
    このように一斉授業の形を取る場合、講師は講義内容をよく吟味して整理しておかなければなりません。
    という例として挙げたわけです。
    また、順序や効果的な演出を考え、要点を漏れ無く時間内にまとめなければなりません。
    そういう模範の一つにもなるでしょう。

    一斉授業は、このように企画力を必要とします。

    【企画】
    実現すべき物事の内容を考え,その実現に向けての計画を立てること。立案すること。また,その計画や案。 「新製品を-する」 〔類義の語に「計画」があるが,「計画」は行うべき物事の内容がおおむね決まっていて,その実現の方法・手順などを前もって考える意。それに対して「企画」は目新しく好ましい物事の内容を具体的に考え,その実現に向けて手はずを整える意を表す〕weblio

    企画力は人間の活動の中でも、最も知的能力(知能)を要する仕事だと思います。
    それだけに、苦しくもありエネルギーを要することでもあります。しかし、創造的な活動でもあり、人が人としての存在価値を示すものと言えます。
    創造的な活動を通じ、人はより脳を発達させるものであると考えます。
    逆に創造的活動から避けていたら、人間は知能が退化するのではと思います。

    この動画はwebでの集客についてわかりやすく説明しています。
    まず始めに3つの方法があると説明し、次にそれぞれの長所短所を説明しています。
    最後にまとめがあり、全体の構成がきっちりしています。

    このように授業構成ができない教員もいます。
    そういう教員でも一応毎日授業を行っているのでしょうが、このように授業の企画ができない教員にとっては、授業は苦痛でしょう。
    いつも、授業から開放されたいと思っているかも知れません。

    自習にすれば開放されますが、いつもそうするわけにいきません。
    そこで、授業は実質しないが、授業のようにみせかけるということを考えた人もいます。
    例えば「グループ学習」と称して、子どもに丸投げすればよいのです。
    「子どもの自主性を伸ばす」という理由もつけられます。

    結局、なんとかかんとか理由をつけても、本音は「授業をやりたくない」「指導案は書きたくない(企画力がないから書けない)」なのでしょう。
    「これは楽だ」と、こういう方向になびく教師が増えたら、日本の学校教育は崩壊するだろうと思います。


  3. 単発の知識ではどうにもならない

    2月 27, 2016 by dolce

    e49349e462dcb272cc5b730ed099a7c6_s最近、SHARPの会社再建のニュースがよく報道される。SHARPはかつては電卓作りでリードしていた。私も初めて買った電卓はSHARPだった。
    今でこそ安く買える電卓であるが、私が買った頃は何万円もした。それでは、小学生に買い与えても抵抗のない世の中になったからもう学校で計算を教える必要はなくなったと言えるのだろうか?
    私が聞いた限りの大人で、もう計算を学ぶ必要はなくなったという人はいなかった。
    聞くまでもなく、納得できる反応であったが、教師の中に「もう計算を学ぶ必要はない」と言う人がいたのは驚きであった。
    教師でありながら、そんな発言をする人はそれだけでもう教師失格であると思う。
    「それをいっちゃおしまいよ」というやつである。
    歯舞が読めなかった大臣より始末が悪い。
    三権分立を知らない政治家のようなものである。

    計算機があるから計算を学ぶ必要がないと言えば、そもそも教育とは何のためにあるのかがわかっていないということである。
    計算機があれば計算に不自由はないだろうが。
    しかし、その計算機は一体誰が作るのだろう?

    計算機の中にはICが入っていて、ICの中には計算のロジック回路が入っている。
    そのロジック回路が理解できないでは電卓を作ることができない。
    電卓やコンピュータの計算を考えるために、ブール代数なるものが注目をあびてきて、エンジニアはブール代数の勉強が必須になったと思われる。

    計算機の発明で計算を覚える必要がなくなったどころか、かえって数学は勉強することが多くなった。
    数学ができる(計算ができる)人がいなくなったら、計算機を作る人がなくなるので、やがて計算のできる人間は一人もいなくなる。

    (計算は学ぶ必要がないという)このようなバカな考えをするということは「目先のことにしか考えが及ばない」からだろう。
    まさに単発の知識や考えしかないということだろう。

    こういう人が、子どもの30年〜50年後を考えているとは、言うだけで実質、全くの嘘である。
    とても教育論の論文が書けるとは思えない。
    書けないから、まとまりのないダラダラと意味のない文字の羅列でページを稼ぎ、著作などとごまかしをやっているのだろう。

    単発の知識しかないから、碁や将棋のような先を見通した思考はできないだろう。
    それでは、人の作文(論文)を批判する資格もない。
    こういうインチキ教師を査定して、教育の世界から追放しよう。
    そうすることは、日本の教育が健全になることに寄与する。


  4. The sins of the parents will be visited upon the children.〜納得

    2月 27, 2016 by dolce

    なるほど、親の言動が小学生並だから子どもの振る舞いも幼い。巷の感想も、せいぜい5歳くらいという。
    I see, because parent behavior is as a schoolchild, the child’s behavior is also childish. Impressions on a street are also called about 5 years old at most.

    中身は幼くても、試験は突破してしまうというアンバランスは、日本独特のものなのだろうか?
    Even if the contents are childish, is Japan peculiar to the unbalance which breaks through a test?

    入学はしやすいが、卒業は難しいという欧米との違いが出ているのか?
    It’s easy to enter a school, but has the difference with Europe and America where the graduation is difficult gone out?


  5. The sins of the parents will be visited upon the children.親の因果が子に報い。

    2月 26, 2016 by dolce

    英訳:The sins of the parents will be visited upon the children.

    親のした悪業の報いが罪もない子に現れる。親の罰(ばち)は子にあたる。(コトバンク)という意味ですが、子に影響するのは悪いことだけではないようです。
    To influence a child doesn’t seem to be only a bad thing.

    親子はかなりの間人生を共にしているので、子どもは親から何らかの影響を受けていると考えられます。
    While it’s considerable, a parent and child is doing a life together, so I can think a child undergoes some influence from a parent.

    この諺については次のサイトが参考になります。
    The next site is helpful about this proverb.
    http://sekizen-study.at.webry.info/201105/article_1.html

    昔から思っていたことですが、子どもは大人に反発することはあっても、結局、大人の目を通じて社会を知っていくという面があるので、学校の教師も子どもに影響を与えていると言えるでしょう。
    だから、教師は子どもの悪い行いを批判するだけでなく、子どもの姿を見て自分の反省に生かすようにしなければなりません。
    It’s that I thought from the past, but even if a child rebels against an adult, there is a face where I’m knowing society through an adult eye after all, so it can probably be said that a teacher at school is having an influence on a child, too.
    So a teacher criticizes child’s bad conduct and I have to decide to see the form of the child and utilize for the reflection.

    批判精神も大切と思いますが、批判する人の人柄でしょうが、辛口の言葉も、なるほどと心に響く人と、聞くことによって返って反感を抱く人がいます。
    これはことの真偽には関係ありません。
    I think the criticism spirit is also important, but it’ll be the personality of the person who criticizes, a dry word, I see, it’s returned by hearing the person who appeals, and there is a person who feels hostility.
    This is unrelated in truth or falsehood of a fact.

    反感を買うような言い方しかできない人は、子どもの前で話すと指導が逆効果になるでしょう。
    特に、生活指導では話すことで逆効果になり、返って悪い行いが増えた例もあります。
    When the person who can do only the antagonized way of speaking speaks in front of the child, guidance would defeat its own purpose.
    It defeats its own purpose by speaking by social guidance in particular, and it’s returned, and there is also an example by which bad conduct increased.

    話が腹いせになってしまってはいけません。
    Talk isn’t supposed to be revenge.

    よく問題になる体罰も、殴るなどの行為は一種の腹いせではないかと、私は思っています。
    どういう事情があったにしても、指導の手段としての体罰は、私は必要ないと思います。
    The cane which becomes good in a problem, it’s hit, I think an act is a kind of revenge.
    Whatever kind of circumstances there were, I think I don’t need the cane as the means of the guidance.


  6. Do not become a teacher is funny human head.

    2月 25, 2016 by dolce

    Unfortunately, it is the fact that the head of the funny teacher are in the education field.

    Normalization of school, first of all, must begin from the fact that eliminating the funny teacher.


  7. 壊れたロジック回路は修復可能か?Do you fix it Once broken logic circuit?

    2月 25, 2016 by dolce

    gx767dbx来客でこれを見た人の中には「これは映写機ですか?」と言う人もいる。
    映写機ではなくテープデッキである。
    テープレコーダーと呼ばず「テープデッキ」という。
    今では録音機がデジタル録音機に変わってきて、テープを媒体とする録音機はカセットが残っているぐらいだろうか。

    しかし、オーディオフアンの中にはこのテープデッキを根強く支持している人たちもいる。
    写真のデッキはAKAIというメーカーの製品であるが、搭載されている技術には機械好きにはたまらない魅力があるようだ。

    先進的な技術としては、テープ走行のコントロールにマイクロコンピュータを使ったロジック回路が組み込まれている。
    優れた機械だが、今このメーカーは存在しないので、ロジック回路が故障したら修理不能である。
    もちろん、残っている同型機を見つけて部品取りをすれば修理できるかもしれない。

    ロジック回路は人間で言えば頭脳のようなもので、一定の決められた仕事を人間に変わって自動的に動作するものである。
    これは、アルバイトで仕事に行った人間が一定の決められた仕事を指示されたように働くのに似ている。
    例えばファストフード店で人が機械を使って注文の食品を客に出す様子は、機械と人が一体となったロジック回路のようにも見える。

    便利なロジック(回路)ではあるが、ロジックであるプログラムが壊れたら大変である。
    テープデッキの場合は巻取りや送りのタイミングがメチャクチャになって、大切なテープがひどい状態になるかも知れない。

    人間も脳内にある決まった働きをするロジック回路のような部分があるとも言えるが、ここが狂ったら機械の部品交換のような修理は可能だろうか?

    小1左は小学館の雑誌である。
    かつては六年生まであったが、高学年から廃刊や休刊になっている。寂しい感じもするが、時代の流れというものだろうか。
    私も小学生の時は親に買ってもらって、一年生から六年生まで順に上がっていった。
    この雑誌は学年の基準でもあった。学年が上がると雑誌の学年も上がり一つ上級生になったという自覚を持ち、同時に雑誌の内容がその学年にふさわしい知識なのだという認識を得ていた。

    編集者の立場になってみれば、雑誌の「学年らしさ」を記事にするためには、かなりの情報収集をするのだろう。
    これは雑誌社の考えたそれぞれの学年の「らしさ」とも言えるが、我々はこの「らしさ」というものを成長とともに基準として持っていく。

    このことを、こういう雑誌と照らしあわせていく時、例えば「小学三年生」を読んでいたら「小学三年生を読んでいるなんてレベルが低い」などと言われるものだろうか?

    そんなことは一概には言えない。

    なぜなら「誰が読んでいるのか」という前提がないからである。
    小学三年生を読んでいるのが六年生だとしたら、つまり六年生なのに三年生の本がしっくりするということなら、精神年齢が三年生に会っているのかも知れないし、逆に一年生が三年生の本を喜ぶならレベルが高いのかも知れない。

    つまり、小学生向けの雑誌自体の価値にレベルの絶対的価値を決めることはできない。

    レベルが高いか低いかは読者の年齢と雑誌の何年生向けかという相関で決まるのである。

    別な言い方をすれば「小学生レベル」というだけで、レベルが低いと決めつけるのは、決めつける人の脳のロジックがおかしいのである。

    つまり「小学生」というだけで「レベルが低い」と感じてしまう人の脳は故障したところがある。

    幼稚園児が、どこから見ても「これは小学生の文ですね」という作文を書けば、その園児は優秀なのである。

    小学生自体の価値には全く関係ない。
    学校の先生には脳のロジックが壊れていない人を望む。


  8. コンサートでのエチケット

    2月 24, 2016 by dolce

    コンサートに行った時、気になるマナーの悪さ。

    1.ホール内(客席)での飲食

    常識外であるが、ピアノ発表会で父親が我が子のビデオを撮る時、飲み物を持ちながら撮影をしていることがある。

    2.撮影や録音

    携帯やスマートフォンを使っているのもいけない。

    3.遅刻して客席に入る

    係員をつけている場合は、ドアを管理していて、演奏途中では入れないようにしているが、たまに隙をかいくぐって入る人がいる。迷惑だし、恥ずかしい姿だ。

    4.客席の間を走る

    幼児の走ることが多いが、小中学生で走る者も結構いる。
    酷い者は、演奏中に走る場合もある。

    5.楽章の間に拍手をする

    交響曲は普通4楽章構成になっているので、楽章ごとに指揮者は棒を降ろす。この時曲が終わったと思って拍手をする人がいる。演奏者(指揮者)すればそういう時間も演奏の流れのうちである。
    そんな時に拍手すると、気持ちが滅入ってしまう。
    拍手は指揮者が礼をしてからした方が恥をかかないですむ。

    6.臭い人

    息が臭いのか、体臭なのか本人は気がつかないのか、周りは迷惑このうえない。

    7.おしゃべり

    熱心に聴いている人にとっては、集中力をそがれる。プログラムをめくって紙の音を立てるのも迷惑。

    8.幼児を連れて客席に入る人

    演奏の途中で泣き出したりして、迷惑このうえない。

    と、日頃気になることを書いたが、マナーの悪い人はコンサートだけではないような気もする。
    マナーの悪い人は人格も疑われる。


  9. 外堀から見てモノを言う

    2月 23, 2016 by dolce

    castl_s城を見学しに行った時、外堀から眺めているだけでは外観のデザインこそわかっても、その城の特徴はわからない。

    何か論評するとき、このように城の外堀からしか観ていないような文章を書く人がいる。
    これは、そういう文章しか書けないのか、書かないのかどうなんだろう?

    この城の観察は象徴的な例だが、一応報告書だけ書けばよいという姿勢で書けば「書かない」ということになる。
    仕事によっては研修旅行とか視察と称して、その実、中身は慰安旅行だったりすることがある。
    過去には実際にこういう旅行があったので「ある」と書いたが、今はどうなんだろう?

    過去にお役人たちの視察旅行の報告書が、フリー百科事典「ウィキペディア」の丸写しだったことが報道された。
    その処分がどうだったかは知らない。

    今、ことの良し悪しを批判するつもりはない。悪いに決まっているからだ。

    それより、実際に現地に行っても、行かないととわからないような文しか書けないことだ。
    こういう文章をリアリティがないと言う。

    フランス旅行をして、エッフェル塔は大きかった、凱旋門は美しかった。ぶどう畑が広がっていた。
    フランス料理は美味しかった・・・のような作文は実際にフランスに行かなくても書ける。

    つまり、城を外堀から見ているだけの文章なのだ。
    実際に城の中まで入っていないのか、観察力がないのか?

    とにかく、教師がそういう文章を書いてはいけない。
    文章を書く機会の多い教師は、児童・生徒の模範となる文章を書かなければいけない。

    リアリティのない文を書いているのは、実際現場にいない、行ったことがないのかも知れない。

    「切ったら、パッと血が出るような」という言葉があるが、子ども、その親、その他一般に影響を与えるにはそういう文を書かなければいけない。


  10. 問題は精神年齢

    2月 23, 2016 by dolce

    igamannzyuいが饅頭の季節ですが、思い出すのは中学校の給食でいが饅頭が出されたこと。
    子どもにとってはうれしい給食になった。
    給食にも活気が出た。

    ところが、わいわいやっているうちに女子生徒のいが饅頭が一つ行方不明になってしまった。
    探しても、誰かが食べてしまったのかついに発見されうことはなかった。
    いが饅頭はたいていの子どもは好きだが、必ずしも楽しみではないという子どももいる。

    この給食の時も、特に問題はなかったようなので、担任はそのままにしておいた。

    それから数日経った学級会の時、議長が「何か議題はありませんか?」と言ったところ、一人の女子生徒が起立して「私のいが饅頭返してください」と強い口調で言ったので、クラス内はどっとざわめきが起こった。

    もうとっくに終わったことだと思っていたのに、突然の発言、しかも何日も前のいが饅頭のことだったので一同びっくりしたのだ。
    やがて、このいが饅頭事件は笑いとともに、噂となって広まった。

    職員室でも話題になった。

    「あの子って変わってますよ。学級会で『私のいが饅頭返してくださいって言うんですよ』」と担任の言葉。
    そこに居合わせた先生たちは「ほうっ」と思った。

    それは女性とは中3で、成績(実力テスト)は300人中5番ぐらいの生徒だったからだ。
    それからは、先生たちのその生徒は見る目は変わっただろうと思われた。

    中3で成績もよいといえば、かなり大人という意識がみなにあったからだ。

    このように、いつのころからか成績と精神年齢が一致しない者(子ども)が増えてきたように思う。
    こういう子どもがそのまま年だけとっていくと、学歴は高くても心は子どもという大人になるのではないか?

    学歴は高く年齢は大人でも、精神は子どもだと作文も子どもっぽい、だから大学教授でも小学生並みの作文になるのではないか?

    効率的な点数の取り方が、受験産業とともに進んで「地位=高学歴=出世」となるのは考えものだ。

    最近はスポーツの世界でも優秀な選手の低年齢化がにられる。
    こういった選手の発言をテレビで見る限りは、精神とのバランスがとれているようで安心する。

    懸念は司法の世界で、幼稚な弁護士、検事、裁判官が登場しないか先行きを心配する。
    特に裁判官は世間を知らないと言われており「裁判官、お笑い判決集」などが存在するのは、笑っていられないことである。