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‘社会’ Category

  1. 手続きをするだけで、誰でもすぐ130万円手に入る?

    7月 27, 2016 by dolce

    こういう話を信じますか?
    答えは動画の最後にあります。


  2. 東芝、ソニーに事業売却〜伝統ある企業の今後

    10月 24, 2015 by dolce

    大企業の相次ぐ不祥事に、このところうんざり。
    不祥事の影響か、東芝は画像用半導体事業を200億円で売却するという話が出ている。
    創業の精神はいったいどうなったのか?
    東芝は138年間の歴史を持つ、日本人の誇りとする企業でもある。

    創業の精神が「飽くなき探求心と熱い情熱」ということだが、PANASONICが松下幸之助氏のもとでナショナルのブランドで電球のソケットを作り、東芝は電球を作っていた。
    ともに、日本を牽引し、家庭を明るく照らしてきた企業だ。
    今の役員たちは、創業者の精神を引き継いでいるのか?

    学校では道徳教育が本格的に始まろうとしている。
    道徳教育が必要なのは、子どもではなく大人ではないのか?

    一夜にして、138年の信用に傷をつけてしまったことに、どのくらいの心の痛みを感じているのか?
    それこそ「ご先祖様に申し訳ない」である。

    すばらしい工業製品を作り出している現場と、役員の精神とはどうも相容れないものがあると感じるのは、私だけだろうか?


  3. SFが現実となる日〜バックトゥザフューチャー

    10月 21, 2015 by dolce

    もう30年になるの?
    という中年、シニアが驚きを隠せないという様子だった。
    バックトゥザフューチャーは制作されて30年になる。

    タイムマシーンこそできていないが、昔SFと思っていた映画の内容が次々と実現している。
    SFは空想であるが、妄想ではない。
    科学的根拠に夢を乗せて制作している。

    スマホ全盛の時代だが、この先どう進化するだろう?
    車も自動運転が身近になってきた。

    教師は妄想ではなく、今日の科学技術の根拠をもとに、未来を語るようにしたいものだと思う。
    TOYOTAは時代を先取りしてMIRAI(未来)という車を作った。
    すでに実際に買った人がいるようで、排気ガス規制の強化も相まって、水素自動車の実現も加速しそうだ。

    子どもの方が未来を知っているという恥ずかしい状態にはなりたくないものだ。


  4. 日本は財政破綻するか?

    10月 9, 2015 by dolce

    日本は1000兆円を超える借金をし、なおも増加中である。
    安倍内閣はプライマリーバランスを2020年にはゼロにすると言っているが、険しい道である。
    歳入が40兆円に対し予算は100兆円なので、60兆円が毎年赤字である。

    この均衡をとるには、歳入を増やすか支出を減らすか、あるいはその両方で対処しなければならない。
    景気回復が早期に実現するのは難しそうで、支出を減らすには相当大胆な政策をとらねばならないだろう。
    消費税もやがては20%を超えるかも知れない。
    医療費の予算も減額するか、いっそ個人負担を50%以上に引き上げるとしても、財政の黒字化は難しそうだ。

    そうすると、国家破産は免れないか?

    学者は破産は免れないという人と、破産はしないという人がいる。
    すでに破産しているという人もいる。

    ■怖いのは超インフレ

    いわゆるハイパーインフレである。
    日本は昭和21年に財政破綻をし、突如金融封鎖になった。
    資産税が課され、90%の財産を無くした人もいる。

    金融封鎖が解除されると、翌年から猛烈なインフレに見舞われた。
    戦後生まれの人が多くなって、こういう話はピンとこないだろうが、4年で物価80倍にを参照していただきたい。
    怖いのは超インフレである。


    教員をしている人、物価が80倍になるということは、今の給料が80分の1になるといことである。
    80万円の給料が1万円である。

    ■インフレ対策は?

    今から外貨預金をしておくという手がある。
    しかし、働ける人は新たに働いて報酬を得ればよい。
    報酬は信用のなくなった通貨ではなく、実物(現物支給)にする。

    労働のできる人、特技のある人は無一文からでも出発できるが、働けない人、健康でも口だけの人は得るものがないだろう。
    教員の場合、対価を得られるほどの特技があるかどうか、本当にプロとして通用するものを持っているか、自信がなければ今から準備しておいた方がよいだろう。


  5. いずれ問題になりそうなこと

    11月 19, 2014 by dolce

    小渕大臣の辞任は衝撃的なことであったが、政治家の金の問題は命取りになることがまたも明らかになった。

    そんなことはわかりすぎるほどわかっていたはずだが、政治家として昔から地盤のあった人にはアキレス腱だったのかもしれない。

    日本は民主国家ということになっているが、本来かくあるべきということが伏せられていることは案外多いのではないか。

    議員に頼めば交通違反ももみ消しなんて話もあった。

    当然、けしからんことである。

    昔は因習で見過ごされてきたことが、正義に照らし合わせ、次第に許されなくなってきたことは、真の民主化に近づいているのか、それともあら探しか。

    たとえあら探しとしても、法に照らして不正なら、誰ももみ消すことはできない。

    政治家の金の問題は繰り返されているが、教育界にいる者にとってもよそ事ではない。

    教員がよく集る飲み屋がある。

    そこは、社会の窓のようでもある。

    そこで話題になったことがある。

    ■事実上、何も仕事をしていないのに給料だけもらっている教員

    この教員は役つきではない。いわゆる平教員である。

    なのに、担任はない。授業もない。

    それでも、給料はもらっている。

    なぜ担任がないのか、なぜ授業もしていないのか?

    管理職から見たら、危なくて担任も授業もやらせられないのかもしれない。

    無断欠勤もある。

    それでいて、なぜクビにならないのか?

    こういう不思議な現象が事実として存在する。

    校長としては当然指導しなければならないし、教育委員会も知らないわけはない。

    何か特別な理由があるのだろう。

    校長も教育委員会も触りたくない理由があるのかも知れない。

    ■公的予算は厳しく精査されるようになってきた

    国会議員の定数や報酬についてうるさくなってきた。

    国や地方自治体が金に困っていることが大きな理由だ。

    バブル期は少しぐらいのムダも無視されていたが、事実上何もしていない公務員にタダ飯を食わせることは許されないだろう。

    タダ飯を食っている奴が偉そうなことを言えば、同僚としてはさらにおもしろくない。

    やがて、タダ飯公務員はやり玉にあがることになると思われる。

    憲法では「国民として最低限の生活は保証されている」から、ただ放り出すことはできないにしても、少なくとも、生活保護以上の収入を得ることは世論も許さないだろう。


  6. GDPショック

    11月 18, 2014 by dolce

    経済評論家も驚いた今回のGDP値の発表。

    そのくらい経済予想は難しいということだろう。

    経済の基本は需要と供給だが、思ったほど需要がなかったのが今回だった。

    なぜ思ったほど需要がなかったのか?

    ひとことで言えば、国民は我慢したんだろう。

    人が生きていくためにどうしても必要な物は、水と食料である。

    だから、水と食料だけは我慢にも限度がある。

    しかし、今回は食料の購買高も伸びなかったという。

    ■国民は節約志向に入っているのだろう

    なぜ節約かと言えば、見通しの立たない不安な社会だからだろう。

    人々はアリとキリギリスの教訓は知っているだろう。

    贅沢をするとキリギリスのようになるかも知れないという不安がある。

    キリギリスはアリに助けてもらったからいいが、困ったら国家は助けてくれるか、助けてくれる他人がいるか?

    この国の自殺者が多いところをみると、救済の手は足りないことがわかる。

    自営業者の国民年金は40年の満額収めても、支給されるのは月額7万円に届かない。
    (生活保護はこの2倍ほどあって、年金の掛け金を全く払ってこなかった人が、それほどもらえるのは矛盾である)

    ■経済は生き物である

    私がそう言わなくても、経済が生き物だというのは常識である。

    しかし、今回のGDPは改めてそう感じさせるものだった。

    欲しいからかならず買うとは限らないという人の心理が入っているから、予想が難しくなる。

    預金が少なくても、国に信用があれば、人々は国に頼るので不安に思わない。

    誰も救ってくれないというのは、大人ほど感じていると思う。

    だから、国の経済政策には国民は敏感だろう。

    そういった点で、国の信用を失墜させたと私が思う出来事が2つある。

    1.復興資金の流用

    2.売電のルール変更

    東北の震災で資金が必要だということで、税金を特別に徴収したが、関係ないところに使われていた。

    太陽光発電をすれば、電気代はタダもしくはローンが払えるとの見込みで家を新築した人は、電力会社がこれからは電力を買ってくれないと突然方向転換知ったため、資金計画に狂いが出た。

    このように、特に生活と密接なところの変更は国民は敏感だろう。

    国の景気を大きく作用するものは、GDP全体の60%を超える国内消費と言われるが、国民が金を使わなくなっているから、GDPが伸びないわけだ。

    国民が節約に転じているのは、率直に言えば政治不安だろう。


  7. 自ら否定したことを自ら実践することはないですね?

    11月 9, 2014 by dolce

    他人の意見に反対するのはいっこうに構わない。
    だが、そんなことを言っていいのかと思うものがあった。

    ■感動はよくないそうだ

    へえ、と思ったものに「感動のある授業はよくない」と主張するものがあった。
    そう言う以上、この人はひたすら授業を、感動のないように努めているのだろう。
    とにかく、感動を否定しているのだから、コンサートも感動のないように心がけているのだろう。
    しかし、感動を否定するコンサートに行こうと思う人がどのくらいいるのだろう?

    人生も、多くの人が感動のある人生を求めて生きているのではないかと思うし、子どもが合格した、孫が生まれたなどは誰もが感動することではないかと私は思っているのだが、これらを否定するとはどういうことだろう。

    まあ、人生はそれぞれの人が自分の思うように生きればいいのだが、人は一人で生きていくのではなく、他人と関わっていくのだが、感動を否定する人と関わる人はどんなだろう。

    感動を否定しているので、授業はひたすら平板で黙々と続けるのがよいと言っている。
    こういう人の授業を受ける人たちの気持ちはどんなだろう。

    ■気になる子どもには声をかけるなと言う人

    これも変わっているな、と私は思う。

    気になるとかならないと言うより、私は他人でも「おはようございます」とか「こんにちは」など声をかけるようにしている。
    先日は、駅の校内で、ポケットから何か書類を落とした人を見たので「落としましたよ」と声をかけた。
    もちろん、気になったからだ。

    「気になる子どもには声をかけるな」と言っているから、子ども限定で言っているのだろうか?
    すると、気になっていたが、声をかけなかった子どもが自殺したということがあっても後悔はないだろうか?
    親と話をする時「気にはなっていましたが、声をかけるのはやめておきました」ですむのか?

    ■真逆を言っているとしか思えない

    感動を否定すれば、世の中はどうなるか?
    声をかけても相手は何も言わないとか、場合によっては反発の言葉が返ってくるかもしれない。

    そうだとしても、声をかけた方がいいと私は思う。
    声をかけたら反発されたとなれば、むしろ、その人は何か問題を抱えているのではないかとわかるのではないか。

    私の考えからすると、まるで正反対のこの意見は、日本を壊そうと使命を担っているのではないかとも思えてしまう。
    そうでなければ「異常」だ。

    こういう意見に賛同して、ありがたく信奉している人を見ると、いわゆるカルトの信教ではないかとも思ってしまう。

    どちらにも共通なとこらは「なぜそうなのか」という理由を言っていないところだ。


  8. 社会から必要とされていないと思う疎外感

    10月 3, 2014 by dolce

    年寄りのマナーが問題になっている。
    これはテレビでも、ちょっとした特集として取り上げられた。

    並んでいる列に「オレは特別」という態度で割り込む。
    実際、私はコンサートで開場を待っている時、そういう年寄りを見たことがある。

    間違いを注意するとキレる。
    担当はなだめるのに大変。

    電車の中で、座席に座っていたら突然頭を叩かれた。
    びっくりして、顔をあげたら年寄りに「ここは優先席だぞ」と言われ、立たされたという。

    定年退職した元大学教授は言っていた。
    「退職してみて、自分はもう社会から必要とされていないんだと、ひしひしと感じる毎日がたまらない」と。

    正直、私にはこの感覚がわからない。いわゆるノーテンキというやつかも知れない。
    人にもよるかも知れない。
    退職後、好きな趣味を楽しんでいる人もいるからだ。

    いずれにしても、人の心の中はわからないから、何とも言えない。
    しかし、疎外感は退職後とは限らないだろう。
    すっかり冷めてしまった夫婦間の生活を、家庭内離婚と言うが、似たような感覚で職場内離職のようなものがある。

    ある会社勤務の人が言っていた。
    会社として辞めさせたいという人間がいるとき、簡単にはクビを切れないから、自ら辞めたいと申し出るようにさせると言うことだ。
    具体的には、仕事を与えないようにするのだそうだ。

    毎日会社に出てきても仕事がない。
    これが人間にとっては大変苦痛なんだそうだ。

    仕事しなくても給料がもらえるなんて、いいじゃないかと思う人がいるかも知れない。
    しかし、自分の仕事がないというのはそれ以上の苦痛なんだそうだ。

    この話を聞いて、これは人間の心理だと、私は思った。
    これは会社の話であるが、学校はどうだろう。

    たいていの先生は、担任を経験し授業をする。
    指導がうまいとか下手とか言われても、担任をさせないとか授業をさせないというのは、よほどのことがない限りないだろう。

    「よほどのことがない限り」というのは、担任をさせない、授業をさせないがゼロではないということだ。
    これも、私の知っている人の話だが、先生になってみたものの、後に担任をはずされ、授業もなくなった人がいた。
    その彼は、何か悪い悪いことをしたというわけではない。
    理由を詳しく、ここでは話さないが、簡単に言うと「先生には適していない」ということ。
    結局、彼は事務員に転職という形になった。これは、まじめな彼に適していたようで、その後は順調に過ごした。

    先生で問題になるのは「おかしい」と噂の立つ人だ。
    担任をさせたり授業をさせると、保護者から苦情のくる恐れがある人。
    保護者から苦情のあるという人は珍しくないが、言動が奇行の部類に入る人。
    子どもが気味悪がって、クラスを統率することができない。
    校長としては担任や授業を外すという決断に至る。

    問題はその後。
    この先生が静かにしていてくれたら、それでいいのだが、本人が「担任ができない」「授業がない」ということで、強い不満を抱くこと。それが転じて、現役の先生に対する恨みに発展することだ。

    ヒトラーが画家になれなかったことにコンプレックスを抱き、優秀な画家たちを弾圧したように、常に強いコンプレックスで充満している。
    どこかで、ストレスを発散する必要がある。
    それが、現役教師に対する嫌味やあら探し、時にはありもしないことまでも作ってまくし立てる。

    率直に言って、こういう人は転職を考えた方がいいと思う。
    野球で言えば、戦力外通告を受けているわけだから、できるだけ早く受け入れてもらえる先を考えた方がいい。
    面倒をみようという校長が必要fだが、今どきは、さわらぬ神にたたりなしかもしれない。
    教育委員会も考えねばならない。
    いっそ、教育委員会へ転勤させ事務をやらせるのがいいかも知れない。
    彼に支給されている給与は税金であるということを考えれば、教育委員会が放置しているのは怠慢である。
    いつか、市民から突き上げられるかも知れない。

     


     

    水を得た魚という言葉があるが、人間には仕事が必要である。

    仕事のない人には不満やコンプレックスがある。
    そうした人が言う言葉には、人にもよるが、普通に暮らしている人たちに対する恨みのようなものがあって、それが何かのきっかけになって、暴言や暴力になることがあるらしい。


  9. 機械はお詫びするのに人間はお詫びしない

    10月 2, 2014 by dolce

    このごろ感じていることだが、電話をすると「おまたせしてすみません・・・・」と自動応答があったりする。
    世の中、便利になってくるのはいいのだが、機械の応答が多くなってきて、相手をする人間の出番が少なくなって行く傾向にあるようだ。

    ここで気がついたのだが、言いにくいことは機械に言わせるということだ。
    人間の場合、謝るべきことを素直に謝らない場合がある。
    屁理屈、詭弁の類を並べ立てられるのは、開き直りだろう。

    企業でも、ますますロボット化(機械化)が進むだろう。

    そして、下手に人間に任せたら顧客と問題を起こすのではないかという不安があるときは、予め、素直に謝るというプログラムにしておけば、安心感に繋がるかもしれない。

    企業の対応のまずさから大事件になったものとして、有名なものに東芝事件がある。
    製品の不具合を申し出た顧客に、大きな態度で出たものだから、顧客は怒って問題をネット上に広めた。
    大きな反響になり、東芝はかなり窮地に立たされた。

    クレームを受け付ける係は、元警察官だったらしく、横柄な態度をとったらしい。
    結局のところ、人事の間違いということだろう。

    大事に至らないように機械化するのは一理あると思うが、機械は謝っているのに肝心の人間は謝っていないという現象が起こるかも知れない。
    機械が次第に人間の心の領域までに進出し、人間が常識を失うことにならないか不安を感じる。


  10. 異常人格者の世界

    9月 29, 2014 by dolce

    神戸女児死体遺棄事件は多くの人びとに衝撃を与えた。
    「殺人事件」ではなく「死体遺棄事件」とされているところは、容疑者が逮捕されたとは言え、警察の捜査は殺人事件の段階ではないことを示している。

    とは言え、女児は何者かによって殺害された推定される。
    この事件を殺人事件と考えても、単なる殺人事件ではなく、猟奇殺人事件である。

    猟奇的というところが、人間の恐ろしさを感じさせる。

    satuzinnhyakkaもうずいぶん昔になるが、私は殺人百科という本を読んだことがある。
    これは、教育には人間を理解する必要があるとの考えで読んだ本のひとつである。

    殺人の動機は様々である。
    その動機は憎しみや、金欲しさのものなど事件解決の度に報告されるが、どうにも理解不能なのは、動機らしいものがわからないというもの。

    この本は特異な、つまり猟奇的と言われる、実際に起こった殺人について追究されたものである。

    「ヘスという男」というライトルを覚えているが、ヘスは第二次大戦中にナチのもとで、殺人工場に勤めていた人間である。
    彼の仕事は、毎日、ガス室の隣の部屋でガス栓をひねることであった。

    彼がガス栓をひねると、隣の部屋では何が起こるかは知っていたのだろうが、彼はナチに言われるまま忠実に働いていたサラリーマンであった。
    家庭に帰れば、奥さんと子どものいる良きパパであったそうだ。

    自分のやることで、他人がどうなるかなどと考えない、感知しない、黙々と忠実に仕事をこなすという姿は現代の平和な社会にも通じるものがあるかも知れない。

    タイトルは忘れたが、金持ちの使用人として働いていた男が、休暇をもらった時、主人に「お休みをいただいたついでに、お嬢ちゃんをご招待したいので、お連れしていいでしょうか」と許可を願い出たそうである。
    主人は、なんとなく気が進まなかったので、断ろうと思ったらしいが、特に断る理由も見つからなかったので、許したということである。

    使用人は自宅に幼女を連れて行くと、彼女を切り刻んで、何日もかかって鍋で煮て食べたそうである。

    ある殺人者の家系が紹介されていたが、系図の中にかなり多くの殺人者がいたのを見ると、このような事件を起こす家系があるのか?遺伝するのか?

    このように、理解不可能な人間の行動を映画にして、有名になったものとして、アルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」がある。
    戦争などとは違った人間の怖さがある。

    実際、そういう人間が現実の社会に紛れて生活しているということは、こころしておくべきかも知れない。