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  1. 対症療法は素人療法

    9月 11, 2014 by dolce

    学校は収容所ではない。教育の場である。
    しばしば荒れた学校の話題が登場するが、こういう学校現場でどう対処したらいいか、どう対処したのかで、教師がプロか否かが問われると思う。

    警察の協力を得て治安を保つだけなら、学校は教育の場ではなく、単なる収容所と同じだ。

    症状を診て、原因がわからず、ただ表面の現象を隠すだけの素人療法、医者なら藪医者である。

    警察力を以って平和にするだけなら、教育のプロはいらない。
    一般から資格を問わず雇って、管理だけすればよい。
    そういう時の人材は、警備会社に依頼するといいかも知れない。

    しかし、学校というからには、そこは教育の場である。
    教育の場だから、教育を行わなければならない。

    強制力を使わず、話し合いを中心にして、生徒の意見を聞き対処していくところが学校である。

    規律だけを一方的に押し付けて平和を保つのは、刑務所とどのくらい違うのだろう。


  2. 深刻な所得格差

    9月 11, 2014 by dolce

    年々離婚が増え、シングルマザーが多くなっている。
    シングルマザーが子どもに及ぼす問題の、一番大きなものは収入だろう。

    シングルファーザーもいるが、シングルマザーの場合、女性は男性に比べて給与が低いという問題がある。
    女性でも正規社員として雇われ、男性と格差のない給与をもらっていいれば別だが、多くのシングルマザーはパートタイムで、それも一つの仕事では収入が少ないので、二つの仕事を掛け持ちしている人も多い。

    そのため、朝早くから仕事に出かけて帰宅が深夜になるという場合が少なくない。
    忙しいので、子どもと話をする時間が少ない。食事も一緒にできない。
    弁当がいる時には、コンビニ弁当を持たせるということになる

    子どもの心を考えると、胸が痛む。
    母親の忙しさは、必然的に生活の乱れに結びつく。
    基本的生活習慣が確立しない。

    成績と塾通いの相関を調べた大学の先生がいた。
    結果は相関関係はあまりないとのことだった。
    つまり、塾に通っているから成績が良いとは言えないと言うこと。

    成績との相関関係が大きいのは、基本的生活習慣とのことだ。
    そう言えば、近くにある県立高校の生徒は、部活動もしっかりやっていて、塾通いの話を聞いたことがない。
    しかし、東大進学者は、公立高校の中で一番だ。

    生徒たちはマナーが良く、生活指導の必要を感じない。
    部活動も普通にやり、成績も維持し、憧れの的になっていることを生徒も親も誇りにしているように感じられる。

    今日の所得格差の問題は、健康で文化的な生活が普通にできる所得の問題と言えるだろう。


  3. 辞書を片手に

    9月 11, 2014 by dolce

    英語に堪能な人たちがいます。
    こういう人たちは例外なく、辞書を携帯しているように思います。

    最近は電子辞書の利用が多くなっていますが、かさ張らないので携帯に便利です。
    私も何年か前に電子辞書を買ったのですが、最近、壊れてしまいました。

    代わりを買おうと思っているのですが、電子辞書は高価なので本の辞書を買いました。
    使ってみると、本の辞書(紙の辞書)の良さも感じました。
    紙に親しむことも、人間の感覚を通して脳に良い刺激を与えるような気がします。

    教科書のタブレット化を進めようとしている人たちもいますが、私はなんとなく不安を感じるところがあります。

    ところで、英語辞書に限らず、教師は国語辞典など近くにおいて、知っていると思っている言葉も念の為調べてみるという姿勢が大切だと思います。
    案外違っていたということがなきにしもあらずです。


  4. 電気が必要と原発が必要は違いますね

    8月 15, 2014 by dolce

    電気が必要と、原発が必要の議論が混在しているから、わかりにくくなりますね。

    電気は電気製品を使っている人にはみな必要です。

    一方、原発の必要な人というのは、必ずしも発電の必要から訴えているとは限りません。

    別の言い方をすれば、原発そのもので利益を得ている人も、原発は必要と言っているわけです。

    原発がなくなると、補助金がおりなくて経済的に困るという人はその例ですね。
    原発関連の産業もそうでしょう。

    夢のエネルギーとして出発し、原子力研究所、大学の学科など作られたのですが、研究半ばで「原発はどうしてもコントロールできない」とわかった時、これはやめた方がいいという人と、続けるべきだと言う人たちに分かれたようです。

    やめれば、原発に関する多額の研究費はなくなるわけです。
    研究費がなくなっても、危険だからやめようという人と、研究費ほしさにやめたくないと言う人に分かれたらしいです。

    ■原発の安全性

    当初は「絶対安全」と言っていました。
    これを原発神話と言いますが、福島の事故でこの神話は崩壊したわけです。
    絶対安全な原発はないわけです。

    ■原発は安い

    安いとは発電コストが安いということです。
    しかし、ひとたび事故が起これば復旧や除染、被害者への救済に莫大なお金が必要ということがわかりました。
    これらを発電コストに入れないという計算はおかしい。そう考えると、原発の発電コストは非常に高いのではと思います。

    ■原発の未来

    福島の事故でも懲りないようなので、日本列島が壊滅するまでわからないのかも知れません。
    それに、多少の放射能が出ても、年寄りほど影響は少ないので「俺達の生きている間は大丈夫」という考えがあるのかも知れません。
    これから、若い人の発がん率はどうなるでしょう。

     


  5. 1日24時間を有効に使う

    8月 10, 2014 by dolce

    1日24時間の制限を超えられる人はいません。
    しかし、生き方に差が出るのは、1日を有効に使っているかどうかでしょう。
    では、限りある時間を有効に使うにはどうしたらいいでしょう?

    ■機械を利用して時間を生み出す

    電化製品の進歩で、人々の自由時間は増してきたと言えるでしょう。
    電化製品と言えば掃除、洗濯、料理などに関するものが、まず浮かびます。
    これらは、主に主婦の仕事を助けることに役立ってきました。女性の社会進出が増えたのも、家事を助ける製品の進歩も役立っていると思います。

    最近では家電も単なる機械から、ロボットという感じになってきました。
    私も掃除ロボットやアイロンがけまで一気にこなす洗濯機のおかげで、自分の時間が増えたと実感します。

    教師の仕事も機械で効率化できます。
    印刷の仕事は昔の先生より楽になっています。
    これは印刷機の進歩からですが、冊子まで自動的に作るコピー機もあり、使っている企業もあります。
    将来はこういう機械も安くなり、ランニングコストも安くなれば、学校にも導入されるかも知れません。
    そうなれば、文集も校内で作りやすくなるでしょう。
    会議の資料もまとめて製本化することもできます。

    ■先生、個人の仕事も効率化

    先生個人の仕事とは、それぞれの教科(受け持ち)に係る仕事です。
    これらの仕事を効率化するには、コンピュータの利用が考えられます。
    すでに、表計算ソフトやワープロを使って、仕事の効率化を図っている先生は多いと思います。

    私は採点業務も自動化しました。
    マークシートを使ったわけです。
    マークシートは選択式の問題ですが、選択式の問題が易しいということはありません。易しいか難しいかは問題の作り方次第です。

    ただ、選択式の問題に対する批判はあります。
    選択式の批判をする人は、記述式がいいと言います。
    しかし記述式にも欠点があります。
    それは、採点者の主観が入りやすいことです。

    ここで言う記述式とは、ある程度文章を書かせるというやり方です。
    文章を書かせるということは、採点者の読解力に左右されるということがあります。
    また、採点者の感情移入の可能性もあります。
    感情移入の可能性があるということは、採点者によって配点の差が出る可能性があることにもなります。
    それに、同一採点者であっても、時間の経過によって採点基準が変わる可能性もあります。

    感情移入のできるところがいいと言う人もいますが、それは心が伝わるとしても「いいもの」が伝わるとは限りません。
    それより試験において最も大切なのは「公平性」です。採点者によって点数が違うとか、感情により点が左右されることは防がなければなりません。

    選択式のテストにも欠点はありますが、公平性を第一にすると、やむを得ない選択とも言えます。
    その欠点を踏まえて、欠点を補う方法を他で考えるべきです。

    私の場合、期末テストがあると、約500枚ほどの答案が集まりました。
    これを、手作業の採点で行うとどのくらい時間がかかるでしょうか?
    仮に1枚3分とすると、3分×500で25時間かかることになります。
    これをマークシートでは5分足らずでできました。
    これで、24時間55分の時間の節約ができることになります。

    ■浮いた時間の有効活用

    生活日記を書かせて生活指導をしているという先生も多いと思います。
    私もクラスの40人の生徒の指導を日記で行いました。
    中学校の担任ともなると、受け持ちのクラスとの時間は小学校ほど多くはありません。
    だから、日記を通じての指導は有用と思いました。
    もちろん、40人の日記を毎日、特別な日でない限り行いました。

    コンピュータ利用をはじめとした、時間の有効活用は、単に時間を浮かせるためのものであってはいけません。
    誰がやっても同じ処理、つまり機械的な仕事を機械にやらせるべきで、人間的というか人でなければという仕事を機械で省力化してはいけません。
    そういう意味では、通知表の所見を予め登録された定型的な文章で印刷するやり方は賛成できません。
    たとえ、簡単な言葉でも直筆で書くべきだと思っています。

    1日24時間を見渡して、ロボットや便利な機械を利用し、人生の醍醐味の時間を増やしたいものだと思います。


  6. まさに分裂状態

    5月 17, 2014 by dolce

    現実に病理を見たという思いですね。

    周囲は大変だろう。
    いや、すでに対処の仕方はできているのかもしれない。

    仲間には入れているが、仕事はさせない。

    アマチュアの団体コンクールを連想する。
    アマチュアの音楽コンクールでは、下手でもそのグループに所属していれば金賞の栄誉を受けることができる。

    私はそういうのが嫌で、団体に所属することを敬遠するようになった。

    会社にもありますね。
    特に仕事をしなくても、グループ内にいることで仕事をしたことになるというのが。

    直接仕事に携わらなくても、グループの空気をよくする存在であれば、それはそれで功績があると思うのですが、一番嫌なのは何もしないのに、成果が出たときは自分が骨折ったように宣伝する人。

    ところで、話を戻して、分裂状態は周期があるのだろうか?
    現場はどんなだろうね?


  7. seesaaブログがアクセス不能

    5月 17, 2014 by dolce

    今朝、起きてブログ「教育に情熱をかける教師のために」をクリックしましたが、アクセス不能です。

    メンテナンス中のメッセージもなく、どうしたんでしょう?


  8. フィクションとノンフィクション

    4月 12, 2014 by dolce

    幼少の頃、ゴジラという映画を見た時、テレビ塔や国会議事堂が壊されて大変なことになったと思った。

    家へ帰っても、日本は大変なことになったと思っていた。映画と現実の区別ができなかったのである。

    そんなことを思い出したのは、いい大人が、刑事ものの映画を見て、現実の警察が「やったんだろう、いいかげんに吐いたらどうだ」などと、脅したりすかしたりをやっていると思っていたらしいこと。
    そんなことをしたら、警察の方が特別公務員暴行陵虐罪(刑法195条)に問われる。

    (検事が暴力団の一員を取り調べた時、軽い暴力をふるって、診断書を盾にされクビになったことがあった)

    先生で学校という閉ざされた世界で生活しているせいか、それとも個人的な問題なのか。

    どちらにしても、テレビだけが情報源では偏っているし、それで常識が教えられるのかと思ってしまった。


  9. 学ぶべきことはたくさんある

    4月 6, 2014 by dolce

    「極める」なんて、とんでもないことで、学んでもわからないことは次から次へと出てくる。

    教科という枠の中に閉じこもっているなんて、とても考えられないことです。


  10. 一見、人の機能に逆らったような楽器

    4月 5, 2014 by dolce

    horn

    中学校で吹奏楽部に入ったころ、フレンチホルン(以下ホルンと略)という楽器の説明に「ホルンは親子三代経たないと、一人前の奏者は育たない」と書かれていました。

    難しい楽器ですが、魅力的な楽器でもあります。

    音の出口が聴衆と反対方向。
    操作は左手。
    右手を音の出口に突っ込んでいる。

    この、反抗的とも思えるこの楽器は、歴史をたどって納得できた。
    この楽器は、もとは音を変えるロータリーはなく、ただの一本の管だった。
    開口部が後ろを向いているのは、昔、王侯貴族が狩りをする時、先頭に立って後方に合図をするために開口部が後ろを向いている。

    右手は馬のたずなを持つので、左手で楽器を持った。
    これが、演奏にも使われるようになり、右手は開口部に手を突っ込んで音を変えていた。

    その後、ロータリーを使って音階ができるように改良された。
    今日では、右手を開口部に突っ込んで音色を変えている。